「江戸メシ」展とてんぷら

てんぷらといえば、エビに白身魚、かぼちゃ、れんこん、しいたけ、まいたけ、さつまいも、地域によっては紅生姜など、食材はバラエティに富んでいますが、江戸時代のてんぷら(天麩羅)とは、魚介類に衣をつけて油で揚げたもののことだったようです。
野菜を揚げたものは「天麩羅」とは言わず、単に「あげもの(揚物)」と言ったそう。

そういえば、「江戸メシ」展で見た月岡芳年作の「風俗三十二相 むまさう(=うまそう)」に描かれた女性が楊枝に刺しているのも魚の天麩羅でした。「むまさう」と言っているわりに、この方は、天麩羅よりも、お隣さんとのおしゃべりに夢中になっているようですが…(笑)(太田記念美術館さんの解説から)。

実は、揚げ物の歴史は案外古く、奈良時代にはすでに存在していました。
といっても、いわゆる「てんぷら」じゃありません。
唐菓子と呼ばれる揚げ菓子です。

料理としての揚物が一般化したのは江戸時代ですが、室町時代末期には、麩やこんにゃく、とうふなどを揚げた料理が作られていました。
信長や秀吉も食べていたのかもしれませんね。
そういえば、家康は鯛のてんぷらが大好きで、これを食べ過ぎたせいで亡くなった――という話をどこかで読んだ気がします。が、彼の本当の死因は胃がんだったような? うろ覚えです。

ま、それはともかく。
揚げ油として使われていたのは、主にごま油でした。
1800年代の初めには日常的な料理として食べられており、江戸人たちの大好物だったようです。

なぜ「てんぷら」と呼ばれるようになったのかについては定説がありません。

てんぷらの屋台が立つようになったのは1700年代後半から。
1800年代中盤になると、衣に卵を使ったてんぷらを出す店も登場したそうで。

なんでも聞いた話によると、

卵の白身と小麦粉の衣で揚げたてんぷらのことを「銀ぷら」、卵の黄身と小麦粉の衣で揚げたてんぷらのことを「金ぷら」と呼んだとか。

江戸の人たちはネーミングも洒落てます。

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