「江戸メシ」展と寿司ばなし

「江戸メシ」展、寿司のコーナーでは、喜多川歌麿、歌川国芳らの作品が展示してありました。これらの作品の中で一番古いのは、歌麿が描いた「絵本江戸爵」(天明六(1786))年です。

残念ながら、ここに作品を掲載することはできませんが、この絵には握りずしではなく、押しずしが描かれています。

握りずしが発明されたのは文政年間(1818〜1830)頃だそうですから、歌麿の頃には、まだ握りずしはなかったのかもしれません。

すしは江戸時代のファストフードと言われていますが、実は、すしそのものの歴史はたいへん古く、昔は酢を使っていませんでした。

「魚をごはんに漬け込んで発酵させたもの」。

これがいわゆる「すし」と呼ばれる食べ物だったのです。

例えば、平安時代の物語「今昔物語」には「アユずし」として登場しています。
食べるときは、ごはんをとりのぞいて、アユだけを食べていました。
ごはんも食べる現代とは全然違いますね。
湯漬け(お茶漬けのようなもの)のお供などにしていたようです。
発酵食品なので、相当においがキツかったと考えられます。琵琶湖にも「フナずし」というものがあります。あれも漬け込みタイプの「すし」ですが、「食べ慣れない人にはとても無理」と聞いたことがあります(でも珍味ってのはそんなもんですよね・笑)。

この発酵食品としてのすしが、酢を使ったすしに生まれ変わったのが、江戸時代。

さらにそのすしを「握りずし」へと発展させた(=発明した)のが、元・札差(いわゆる貸金業者です)の華屋与兵衛と言われていますが、このへんは、史料的にはちょっと曖昧。
与兵衛以前から〝握る〟すしは存在していたようです。

ところで、今回の「江戸メシ」展に展示された浮世絵を見て「面白いな」と思ったのは、握りずしには、だいたい「楊枝」がさしてあること。
当時の人は、現代の私たちのように、手もしくは箸を使って、ではなく、楊枝を使ってすしを食べていたということでしょうか。よほど固く握っていないとくずれてしまいそう。
現代のすしではまず無理……ではないでしょうか(できるのかな?)。

最後に、江戸時代の握りずしは、現代の倍ほどの大きさがあったとか(おにぎり?)。
理由は「江戸人はエラが張ってアゴが大きかったから」だそうで。

はてさて、百年後のおすしはどんな姿になっているのでしょう?

次は天ぷらのことを書きたいと思います。

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